一刀流 真木野久兵衛の事

 近世(江戸時代)には、多くの随筆が残されている。中世(戦国)末期から江戸末期までの言い伝えや記録が書かれ、その内容は将の言動から下々のもめごとまで幅がひろい。そういった随筆には武芸者について書かれた事も数多くある。あまり知られていない部分を拾い集めてみよう。

(1)真木野久兵衛の事
 享保のころ牛天神(文京区春日一丁目北野天神)あたりに、剣術の達人と噂の真木野久兵衛という一刀流の師範がいた。町年寄りの旧家か豪商の町人であろうか、三人連れ立って久兵衛に入門を願い出た。
 三人は、
「金銀は糸目はつけぬので、是非、免許皆伝をいただきたい」
つまり金で免許を買いたいと申し出た。
 久兵衛は驚きもせずに、
「なるほど、伝授しましょう」
と答える。
 その後、久兵衛は、
「きたる某日の某刻に桜の馬場で待っているように、ワシもいくので其処で伝授しよう」
と答えると、三人の町人は喜び其の日がくるのを待った。
 約束の某日が来て三人は桜の馬場(文京区湯島三丁目、湯島聖堂の傍らにあり、御茶ノ水の馬場ともいっって両側に桜ともみじの大木があった)に行き、約束の夜亥子刻まで待っていると、ほどなく久兵衛やってきた。
「では、約束どおり伝授しましょう。三人ともこの馬場の端から端まで力一杯駆けてごらんなさい」
 三人の町人は何がなんだか分からず半信半疑ながら伝授してくれるのだからと全力で走り出した。すると久兵衛も彼らの後を全力で追って行く。しかし、久兵衛はもとより老人のため馬場の中ほどで息切れをして倒れてしまった。三人は馬場の端までいって、久兵衛が倒れているのに気がつき慌てて駆け寄り介抱しながら、
「教えのとおり駆けました。どうぞご伝授ください。」
と願うと久兵衛は息も絶え絶えに、
「老人とはいえワシは途中で倒れ、各々方は息切れすることもなかった。これは伝授の極秘に至ったのだ。これにて免許皆伝を許す。」
といったので、三人の町人は驚き、
「先生、一手の太刀筋の伝授もないのに免許皆伝とは合点がいきません。」
 久兵衛は答えて曰、
「当流は人を切る剣術ではなく、身を守る術である。戦いをこちらから求めず、相手から戦いを挑まれたら愁いを避けて、従わざるを破るため剣である。各々方は町人であるから戦いを挑まれて逃げても苦しからず。しかし、武士は逃げることが出来ない身分である。今日、某が追い付かんとしたが追いつくことができなかった。三人ともあのように走ることができれば、逃げ足の達者といってもよい。すなわちそれが極秘なのだ。」
 久兵衛にとって剣術の最上は人を切るだけでなく、身を守れることが肝要と答えた。金免許の批判であり、武士と武芸へのこだわりでもあった。とぼけた返答ではあるが、その剣術の腕は確かなものであったことは次ぎに挙げる。

(2)又、久兵衛其の術巧なる事
 享保の頃の牛天神の辺は非常に淋しい場所だった。この近辺の武士が剣に凝って辻斬りとなったか、よからぬ強盗の類か、坂の上から追い落としてなます切にする者がいた。所用で夜中にこの坂を久兵衛がに登ってゆくと、大男が一人太刀を抜き切りかかってきた。この辻斬りにとって今度ばかりは相手が悪かった。久兵衛はあわてず小太刀を抜き青眼に構、静かに辻斬りに相対した。かの辻斬りはその剣圧にこられきれず、徐々に後ずさりし始めた。なおも久兵衛が押し行くと、辻斬りはこらえきれずに天神の崖から真ッ逆さま落ちてしまった。久兵衛は何事も無かったかの如く家に戻った。彼の辻斬りは崖から落ちた怪我でだいぶ苦しんだが、日数が経って怪我も良くなり煙草をもとめて町屋にでた。すると同じように煙草を買い求めた老人とすれ違った。よくよく見れば、この間天神で出会った老人であることがわかり、恐ろしくなって思わず煙草屋に老人の名前を聞くと、
「あのお方は剣の達人と噂される真木野久兵衛です」
といわれ、自らの命があったのは幸いであったと感謝し改心をして煙草屋に紹介を頼んだ。
 ほどなく彼の男は門弟となり、久兵衛から武術の大事などを伝えられて後、質実の武士となったという。